女性達の手掛ける『アニメ』の世界

仕事でもプライベートでも女性と話していて思うのだが、女性ならではの意見を聞くことがあったりする。その視点に時々ハッとさせられる事も多い。よく考えてみれば女性と男性の世界は驚くほど違う。双方にとって互いの世界は決して実体験出来るものではない、未知の領域に感じている。そんな女性達の感性で描かれたアニメの世界。よく考えれば個人的に好きな作品が多い事にふと気付いた。実際にけいおん!のように社会現象にまでなった作品もある。何故女性の手掛けるアニメはこんなにまで自分をそしてアニメファンを魅了するのか?というのを少し考えてみた。

●アニメの分野で活躍する女性達

京都アニメーション所属でけいおん!監督の『山田尚子』、近年ドラえもん映画の監督として知られる新進気鋭の『寺本幸代』、アニメ脚本家として現段階で一番売れっ子の『岡田磨里』、特撮も手掛ける『小林靖子』、ベテランとしてシリーズ構成も数多い『吉田玲子』、P.A.WORKS作品で活躍する作画監督の『関口可奈味』、京都アニメーションで数多くの作品の作画監督を手掛けた『堀口悠紀子』、らんまのキャラデザとして知られ、現在ではOP原画を数多く手掛ける『中嶋敦子』と新旧世代問わず活躍している人は実はかなり多い。

例えば最近のアニメ界を牽引する京都アニメーションの主要スタッフには女性陣が多く、その強みを活かしたとも言われる『けいおん!』は瞬く間にヒットし、社会現象とまで呼ばれるようになった。決して大ヒットするような作風ではなかった原作をここまで成長させたのは、京アニの元々の力だけではなく、キャラクターの日常を女性の視点で描いた女性スタッフの力が大きいとも言われている。最近では幾原監督の『廻るピングドラム』。幾原監督自身が「現場に女性が多い」発言をしていて、陽毬がイリュージョン空間で魅せる女性の仕草や脱衣表現は女性陣における影響が強かったとも言われている。いずれにしろ女性が活躍する事の多い作品では、男よりも女の方が色々感性なり経験なりで得たもので、上手く仕上げる事が出来るのだろうとも考えられるし、そうでない場合も女性ならではの感覚から発せられる提案で、作品に良いアクセントを与える傾向が多いと感じる。

京都アニメーションの培った女子ノウハウ―氷菓のえるの描き方から

最近ではやや全盛期を過ぎた感じがあるが、『萌え』が流行のキーワードとして未だに現役として存在しているが、最近MAGネットで今の流行として取り上げられていたのが『日常』というキーワードだった。『日常』というものは視聴者が最も感覚を共有できるジャンルで、その『日常』を基盤としてあらゆるアニメに取り込んでいくのが、現在のアニメの方向性とも言われる。

現在京都アニメーションの『氷菓』が放送されている。原作付ではあるものの、えるの描写にアニメの萌え演出をプラスしているような感じを受ける。それを『あざとい』『可愛い』と考えるのは視聴者にとって意見が分かれる所だ。えるの奉太郎への接し方が大胆過ぎる・無防備すぎるという指摘があるが、実際ああいう変な女の子は現実に『いる』のである。原作を読破しているわけでもないので、原作描写の再現かどうかは分からないが、えるという女の子を短い枠で語る物として、『変だけど可愛い』というものを定着させる為に『私気になります!』の時の過剰とも言えるほどの演出、奉太郎だけではなく視聴者もドキッとさせるえるの無自覚な仕草・行動。こんなのはけいおん!ではなかった。必要なかったのだ。

けいおんは!そもそも男性が全く物語に絡んでこない。あくまで女の子達の内輪の世界を描いた話である。だからそこに男の求める可愛さの描写の過剰な演出・追及はほとんどない。ありのままの彼女達を見せることで、逆に女の子の日常がどういうものなのか?に幻想を抱いている男連中をその可愛いデザインと相まって魅了したのである。またけいおん!を見てバンドを始めたという女の子も多い。これは女の子の世界に共感出来たという女性が多かったという事の証明でもある。

山田尚子は映画化に際してのインタビューけいおん!テレビシリーズをこう振り返っている。

とにかく“唯たちを見つめる"ことでしたね。シナリオを最初に読むときもそうでした。唯たちが道具になってはいないか。ストーリーのために動かされてはいないか。唯たちの意識で動くことができるか。唯たちの動きに耳を澄ますことを大事にしていました。シナリオを作るときに、お話のためにキャラクターが動かすことは当然、私たちがやらなくちゃいけないことなんです。でも、唯たちにその役割を背負わせすぎると、『けいおん!』としてのバランスが崩れてしまう。唯たちは唯たちとしてしっかりと生活をさせておいて、そのうえで私たちが持っていきたい方向へお話を練り込んでいくことが大事なんです。「これはやらない」と作品の中に制限を作りたくなかったので、唯たちが楽しく過ごせるように導くのが大変でしたね。

漫画『バクマン』で天才漫画家エイジが漫画を描くときに発したこういう発言がある。

『キャラが勝手に動いているんです』

天才肌の発言とも捉えられるが、山田監督の発言にもよくよくこうして当てはめてみると通ずる物があると感じる。
勿論漫画とアニメは違うので、あてはめるのは難しい点はある。だがこのけいおんスタッフによる女子高生の等身大の描き方は結局そういう感性によって形作られていると確信した瞬間でもあった。そしてそれは女性として培ってきた人生経験がベースになっている。同インタビューの別の発言では『まるで母親の視点で唯達を見ていた』と言っているのはそれを証明している発言でもあると言える。山田監督初めスタッフの能力が高かった点も勿論忘れてはならない。が、感性における女の子の描き方・そしてそれを実現させる能力。最初はけいおん!は単にネットで話題になったからだと思っていた。しかしこうしてスタッフの考えや狙いを聞くと、けいおん!の人気はなるべくしてなったのだと今ではそう思うようになっている。

氷菓は『俺は省エネで生きるんだ』を地で行く無愛想男の奉太郎が主人公である。この無気力主人公に物語に参加させる動機を作らなくてはいけない。それが氷菓のえるの役割である。外見も可愛い・しかも男に対して馴れ馴れしく無防備・奉太郎を信頼している。奉太郎が文句を言いながらも結局謎解きに参加するのは、えるの女の子の魅力に若干やられ始めているからである。奉太郎の思春期としての描写はこの点に尽きるであろうと個人的には推測している。女の子の女の子に対する『可愛い』と男の子の女の子に対する『可愛い』は全然違う。けいおんと違うい男視点で話が進む氷菓では、奉太郎の参加する動機を強くするためにも、多少過剰でも『男にとって可愛い』女の子像を作り上げていかねばならないのだろう。なんだかんだで自分に信頼を寄せていて、すぐに『折木さん!折木さん!』と可愛い顔でフレンドリーに接してくる女の子。別に俺の事好きじゃないのはわかっていても、あざといとか思ってはいても、自分は硬派だからと気取っていても、実際にやられてしまうと、男性としては悲しいかな、ほっとけないし、好感度も知らず知らずのうちに上がっていくのである。氷菓はそもそも男性中心なので、男性が好きであろう女の子を描くのは朝飯前なのである。この雰囲気の切換えが同じ会社で出来るというのが、驚きであると同時に凄い点でもある。


男子諸君には大好評の氷菓のED。京都アニメーションの女性の描き方が圧倒的であることをまざまざと見せ付けられ痛感するEDでもある。 前述した通り男性陣がスタッフとしては主要だが、EDにしても見せ方が上手い。それも培ってきた経験が会社に根付いている事の証明だろう。 何にせよ『けいおん!』で得た女性のキャラクターの描き方としてのノウハウはしっかりと後作品にも受け継がれているという事だと思う。 女の子を上手く魅せる事においてのプロはやはり女性なのであるし、その点をどう活かすかが、今後の日本アニメにおいての発展の鍵になるとも感じた。

関口可奈味石井百合子の描く『花咲くいろは』―関口・石井女子のブックレットのインタビューを中心に


花咲くいろは』は学生気分からちょっと大人に一歩抜け出した女の子達の日々の日常を描いているが、ここではその日常ではなく、細やかさの点において少し見てみたい。岸田メルの原案デザインは総作画監督の関口可奈美とメインアニメーターで石井百合子のコンビの手で相当手直しされている事がインタビューからでも分かる。名誉の為に書いておくが、別にメルが悪いというわけではない。さて、登場人物の仕事着として『二部式』が今作ではお目見えするが、石井は二部式は日常においてそうそう関わる事の少ない服だった為に構造から一から勉強しなおして、着た時に出る細部のシワまで徹底的に描くようにしたと語っている。その集大成がOPで緒花が二部式を着て、階段を急いで降りていくシーンで、ここは石井百合子が細部の描写と緒花というキャラクターを活かした躍動感のあるものにしている。又緒花が最終話で旅行バッグを『よいしょ』と重たそうに持ち上げるシーンがあるが、ここも原画段階では軽々と持つ描写がされていた為、緒花は小さい女の子なので、そういう表現はおかしかろうと、又女の子の可愛らしさをより出そうとして、重たそうな表現に修正したと発言している。男性だから気付かないというわけでもないが、こういう細かい所に注目する辺り、そして可愛さをポイントに挙げる辺り、女性の特徴が良く出ているなーと頷かされる発言ではあった。

設定資料集を眺めて気づいた事だが、元々活発な緒花の表情レイアウト集が多いのは分かるが、どちらかというと静かな雰囲気のある菜子と民子もそれなりに数がある事に驚いた。しかしこの辺りよくよく考えてみると、緒花が目立つだけで彼女達も喜怒哀楽が立派にある女の子なのではある。特に菜子は家での自分と外の自分の性格の極端な変化という悩みがある、こういった点で菜子は表情のレイアウトがそれなりに多い。また上機嫌になると自分の中の抑えているアクティブな面が表に出る性格で、その性格をネタにしたエピソードもあった。民子は先輩の徹に恋をしているという設定で、徹の事になると表情を輝かせる事が多い。この輝いた表情が実に恋している女の子という雰囲気があって、それがレイアウトのパターンの多さに拍車をかけていると思われる。女性の微妙な心理から繰り出される表情・感情表現の数々、シリーズ構成の岡田磨里の功績もあるだろうが、映像再現において関口・石井の2人が相当に打ち合わせをして練り上げていったのは間違いない。インタビューを読んでいると、あっけらかんとしたサバサバな口調で苦労を微塵にも見せないが、端々からそうした雰囲気を感じ取る事が出来る。

余談だが、石井百合子にとって、関口可奈味は師匠格とも言える存在で、絵の基礎的技術は他に師匠がいるものの、仕事への姿勢や考え方は全部関口に影響を受けていると述べている。同じ女性として関口がアニメの世界で頑張る姿は色々思う所もあるらしい。この2人はいろはのスタッフが多く携わっている『CANAAN』でも当然一緒に仕事をしており、クレジットで確認できる所ではOPの作成スタッフが該当する。OP作画監督には関口、そしてOP原画に石井の名前がある。このOP原画は他に4人の女性アニメーターが携わっていたのがちょっと印象的だった。

関口可奈味について全然書いてなかった。彼女に関しての詳しい解説は機会があればという事でご容赦を。
(参考ですが、彼女のアニメに対する意識というのが伺える対談があるので、それを参照頂ければどういう人かは分かって貰えるかと)判子絵と呼ばれ批判される事もあるが、物語とキャラの絶妙なマッチングに関しては今のアニメ界では図抜けている存在であり、アニメの空間描写に定評を持つ安藤真裕監督とのコンビは最早凄まじいものがある。この2人の素晴らしい仕事の代表例として前述したCANAANのOPが挙げられる。僕は当時コマ送りして何度も見返して、カナンの細かい動きを目で追っていき、そして度肝を抜かれた。ここのサイトでも日記で取り上げたほどだ。OPの絵コンテを担当したのは安藤真裕だった。そしてそれは花咲くいろはのOPに関しても同様のクオリティを見せてくれた。安藤監督はアニメーター時代に元々カウボーイビバップの劇場版でのアクションシーンも手掛けているので、キャラの激しい動きに強い人ではあるのだが。とにかく未見だという人はCANAANのOPは一度見て欲しいと思う。

●総括

マリア様がみてる』のアニメはシリーズ構成に吉田玲子。他脚本に関しては全て女性が手掛けている。これは4期あるアニメ全てで一貫しており、原作付で原作者が女性である事。テーマがそもそも女子校という男子禁制の世界を描いている事を踏まえると、妥当な人選なのかもしれない。マリア様に関してはあんまり突っ込んで見てないので、女性らしさがどうこう詳しく語ることは出来ないのだが、深夜アニメが今ほど隆盛でなかった時代に放送されていた作品なので、当時貴重であるといえばそうかもしれない。前述した中嶋敦子といったアニメーターが原画で携わっていたのも興味深い。女性の感性に注目して視聴すると、違った発見が出来るかもしれないので、いずれじっくり見直したいとは思っている。

なんだかんだ書いたが、アニメに限らず、最近の女性の社会への貢献度は素晴らしいと素直に思う。長らく男性社会が当たり前だった日本において、少しずつ女性の進出が始まり、今は全盛期を迎えているといっても良いだろう。女性視点・考え方というのは今の日本では馬鹿に出来ないのである。スポーツに関しても女性の活躍は目を見張る物がある。男性としても見習うべき点がある一方、男が負けて堪るか!という想いがあるのもまた事実。色んな分野において、互いに男女の良さを出し、切磋琢磨していければ、日本はまだまだ発展できると感じている。

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