終わりの無い話

某所で僕の発言を多少捻じ曲げた解釈で個人ブログで他者に『〜なんですよ』とか発言する人間がいた。 勝手にやってろという感じだが、あの手の性格の人間は本当に見ていてイライラする。

自分に賛同して欲しいと強く思いながらも、他者が肯定意見を言うと、そういう意味で言ったわけではないと言いやがるし 否定意見が出ると私そういうつもりで言ったんじゃないんです、貴方の勘違いです・・・とか自己保身に走る。 自分と他者の交流において100%寸分もたがわず意思疎通等できるわけが無いのだから、ある程度のズレは許容するのが当たり前である。 件の彼はそのズレすら許さず、ひたすら自分を真に理解してくれる人が現われるその日まで、今日も無為な文章を投下している

以前からこの手の輩には言いたいのだが、『自分がそういうつもりで発信したわけではない』というのは 少なからず他者と関わらなくてはいけない世の中では当たり前の事である。自分がどういう意図で発言したかより、他人がどう受け止めたかが、大事であり、そういう意味では発言を選ぶというのはとても大事になってくる。その点でいえば、僕も彼の発言を許容してあげねばならない。だから不干渉を貫く。そして愚痴をこのブログで書くw

自分が絡んで不快になった人間は総じて、広く誤解を招く発言をしていた。 勿論大半の人は不備を認めると、謝罪してくれたり、中には喧嘩腰で反論してくる人もいた。 それはズレている自分の意思を他者と擦り合わようとしてくる意思から来るもので、逆ギレであろうと、それは人間の意志としては自然だと思う。 お互いに意見のズレによる衝突の妥協点を探り合っているのだ。

件の人、これまた文章がすこぶる分かりにくい。言葉を変えて、同じ事を何回も書くし、議論の出発点と終着点がこれまた不明。 そんな感じでは、永遠に自分の理解者等現われないだろう。 生産性のない活動という意味では私のブログも同義だが、いずれにしろ、彼は自分の文章の真の理解者が出てくるであろう事を確信し 今日もまた自分以外の人間を見下しながら生きている。

誰か彼を救ってやって欲しいね。